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青もみじ

 京都観光協会が初夏の新緑を「青もみじ」と題して新緑の綺麗な市内48寺院の庭園などをPRするキャンペーンを行っている。
その中で一度見たかった宝厳院へ行って来た。
嵐山近く天龍寺塔頭(たっちゅう)のお寺である。

抹茶色の苔が生える庭にもみじの新緑が綺麗なコントラストを見せる。
「獅子吼の庭」と言うらしいのだ。
なんでも獅子吼とは、仏が説法するという意味で庭園内を散策し、鳥の声、風の音を聴くことによって人生の真理、正道を肌で感じることらしい。
ふぅ~む、なるほど。
なるほどというほどそれほど解っちゃいないのだが、庭を抜けた後、底の深い静かな清清しさがどこかからだを包む。
お墓参りをした後のなにかを拭い取ったような静かな爽快感である。

緑の中を抜けて行ったら、緑の風がからだの芯まですり抜けていったような気がした。
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[ 2009/05/31 12:55 ] 未分類 | TB(0) | CM(2)


[ 2009/05/31 12:49 ] 未分類 | TB(0) | CM(4)


[ 2009/05/31 12:47 ] 未分類 | TB(0) | CM(4)


[ 2009/05/31 12:47 ] 未分類 | TB(0) | CM(2)

五月の陽 緑に溶ける かきつばた

山間(やまあい)の神社は新鮮な緑に包まれ、かきつばたが見事に咲き誇っていた。

上賀茂にある太田神社は、かきつばたの群生が有名で、この日も大勢の人が見に訪れていた。
本殿横におびただしいほどのかきつばたの紫が点描のように映えている。
五月のシンボルのような花である。
ぬけるような爽やかな空。
輝く緑。
乾いたすがすがしい風が吹き渡ってゆく。
もみじを、かきつばたを時々揺らして太田神社の境内を五月の風が通り過ぎていった。

この日の写真教室のテーマは「みどり」であった
[ 2009/05/10 19:03 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)


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[ 2009/05/10 19:00 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

田植えの時期

日本中のどこかしこの田んぼも作付けという食の根源、お米の田植えがこのGWに浮かれる田に行われている。

滋賀県高島市の棚田へ行ってきた。
なんでも畑の棚田だと言う。
よく調べてみたら湖西高島市の畑地区の棚田だ。
この地を始め3っつの棚田を撮りに周った。
なにせ写真教室の人に案内されてだからどこの道をどういうふうに行ったのかはさだかではない><;。
なにせ前を行く先導車のお尻しか見てないのだから(っぶw)。
なにせその棚田へ着いて感じたままシャッターを切りまくった。

平地の、機械が実に入りやすい田んぼにも、丘陵地の実に機械が入る余地のない田んぼにも苗は平等にその地に苗から発芽する。

作付け面積が少なく、それも斜面に田を作り石垣を積みどうにか水平を保とうと先人が、ご先祖たちがしたたる汗をして保ってきた棚田に思いが強くなるのです。
事実斜面の狭い田んぼに汗をするその地に長く暮らしてこられた御年寄りの田植えに強く惹かれた。

どう見ても平地の田んぼとは、その手間も労力も明らかに差が生まれている。
田んぼの違いを見ていて、心苦しくなるのはここまでであった。

なんのなんの、斜面に息づく人たちのなんとたくましいことだろう。
自分たちの生きる場所こそここである、ご先祖から受け継いだこの地とこの田こそ自分たちの生きる地であり自分たちの存在そのものだ、ちゅう気概が棚田からびんびん伝わってくる。

この地に田植えと草引きそれと災害と戦い、やっと迎えた収穫を数十年重ねてきたこの地に働く人たちが五月の澄んだ空気の中で水を張ったばかりの田んぼで一つひとつの稲穂を腰をかがめ植えてゆくその姿に打たれる。

登ったり下ったり斜面の畦(あぜ)で一息つくこの地の人の表情にこちらがホッとするのだった。
[ 2009/05/04 19:56 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)


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[ 2009/05/04 19:45 ] 未分類 | TB(0) | CM(2)

五月の空に緑萌えて

 5月6月分カレンダーの素材を撮りに高山寺、西明寺、神護寺へ行って来た。
五月の頃はなんちゅうても1年でいちばん過ごしやすいすがすがしい季節だぁ。
緑の合間を縫って通ってくる風の爽やかなこと。

高山寺の深い深いもみじの林は幾百年この地に立ってきたヒノキの大木と溶け合うようなブレンドを見せる。
石水院からの新緑が絶景だった。
朝の光りをさんさんと浴びた新緑が石水院の伽藍に沁み込んでいる。
時がゆっくりゆっくり過ぎてゆく。

西明寺のもみじはうつくすい。
子供の頃「た か お の も み じ  よう照る も み じ」と言って一字一字をその七つの数でその葉を数えたものでした。
それが正しい高雄のもみじだと長老から教えられたのでした。
この葉もまさしく七つの葉数だった。
生まれたばかりのみずみずしい若い小さなもみじが清滝川を下にしてりりしくその葉を張っていた。
香るような若葉はもみじだけじゃなく、広葉樹すべてが切り立った渓谷にさんざんとその命の輝きを実に見せていた。

神護寺はこの連休、いつもは東京の国立博物館に保存されているものが1年に一度里帰りをするのだ。
中学の教科書に出ていた、源頼朝像が「神護寺宝物虫払行事」と銘打って展示されている。
初めて実物を見た。
千年あまりの時を超えてまさに目の前に鎮座ます。
目や眉、顔の筆致が数世紀を超えて来たものとは思えない実に綺麗な繊細な線であった。
しばらく息を詰めて眺めていた。
数世紀の時の流れのことを巡らしてみるのだが、私には無理だった。
一人の人間の時の流れと、数世紀を超えて来たこの坐像は圧倒的な尺度のスケールの違いに圧倒されるだけである。
ただただ私の目の前に源頼朝像がおられるだけである。
それでじゅうぶんだった。

歩いて行けるこの三つのお寺。
五月の風に吹かれながら3時間あまりの小旅行だった
[ 2009/05/01 19:13 ] 未分類 | TB(0) | CM(2)

高山寺

高山寺
[ 2009/05/01 19:12 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

高山寺石水院

高山寺石水院
[ 2009/05/01 19:09 ] 未分類 | TB(0) | CM(2)

西明寺畔の新緑

西明寺
[ 2009/05/01 19:03 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

西明寺畔の新緑

西明寺畔の新緑
[ 2009/05/01 19:02 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

神護寺

神護寺
[ 2009/05/01 18:57 ] 未分類 | TB(0) | CM(4)