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雪の情景

故郷(ふるさと)に思う事がある。
自分が生まれて育ってこの年までここを離れたことがない。
今も飼い犬の散歩はこの写真の場所である。
早朝の犬の散歩で雪にハッとしてあわててカメラを取りに帰り、改めてレンズを向ける。
目の前に拡がる被写体は子供の頃からずーーと見続けていたそれである。
この地の写真もこれまでいくつか撮ってきた。

写真教室に行くようになって自分が生まれて育ったこの地を改めて対峙してみようかなという気持ちになった。
写真を撮る人は、プロと言わずアマチュアといわずその被写体のオーソリティがいるものなのだ。
ある池で鳥ばかり撮っている人。
ある山で雲海を狙っている人。
ある地でネイチャーの被写体を追っかけてる人。

写真の個性ってよくわからないのだけど、どんな被写体に向き合ってるのかっていうことなのかも知れない。
そしたら自分が生まれて育ったこの地に向き合うのもいいのかもしれないなーーと思う。
日が昇る前にワンコの散歩に出て、今まで布団の中でスヤスヤしていた時間に繰りひろげられてきた知らなかった自然の営みを残すこと。
今まで見ていて、さして注目しなかった野草、野の花。
このようなものを写真で表現してゆくことも大事なことなのかも知れない。

写真教室の皆さんからそのようなヒントをもらい、じっくり撮ってゆくのも使命なのかもしれないし、個性になれたらそれはそれでまたウレシイものなのであるのです。
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[ 2010/01/24 20:27 ] 未分類 | TB(0) | CM(2)


[ 2010/01/24 20:26 ] 未分類 | TB(0) | CM(2)


[ 2010/01/24 20:25 ] 未分類 | TB(0) | CM(2)


[ 2010/01/24 20:24 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)


[ 2010/01/24 20:23 ] 未分類 | TB(0) | CM(2)


[ 2010/01/24 20:23 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

八坂神社で

「うちなぁ、今年変わろぅと思てんねん」。
「へぇーー、そうなんや」
「うん、そやねんで」
「変わるてどんな風に変わるのん?」
「うん、具体的にどう変わるのかまだ分らへんねん、でもな、変われそうな気ぃすんねん」
「そうなんやぁ、へぇーーそっかぁ」。

この日は恵比寿詣での日である。
大勢の人で賑わう八坂神社で若い女の子たちや、さまざまな人のおしゃべりが耳に入ってくる。
「あんた、八坂さんになにお願いしたん?」
「それはゆえへん」
「なんでやのん!」
「大事なことやさかい」
「ふぅーん」。

様々な人が様々な願い、心配事、想いをお腹の底に置いて八坂さんへお参りになる。

大勢の人たちだけど願うことは変わらなく。
想うこともあまり大差ないような気がする。

幸せを願ってるような気がする。
幸せの尺度もそれぞれ違うのだろうけどそれぞれに合った幸せ、身の丈に合った幸せがちょうどいいのかも知れない。

ある人が言っていた。
「幸せって、今満たされているってことなんじゃないかなぁ」。

八坂神社には大勢の人たちが今年を占った沢山のおみくじが括りつけてある。
向上しようとする気持ち、切り替えようとする思い、頑張ろうとする決意を括りつけるようにおみくじが結ばれ寒風のなかに凛とたなびいていた。
[ 2010/01/12 21:13 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)


[ 2010/01/12 21:09 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)


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[ 2010/01/12 21:08 ] 未分類 | TB(0) | CM(2)


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[ 2010/01/12 21:07 ] 未分類 | TB(0) | CM(2)


[ 2010/01/12 21:07 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)


[ 2010/01/12 21:06 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)

蹴鞠始め

皇紀2670年(平成22年)、都の空は晴れわたり朝から冷え込む糺の森は静まっていた。

なにしろ今日(1月4日)は下鴨神社で蹴鞠初めが行われるのである。
朱の楼門を大勢の初詣客がくぐり、本殿へと向かってゆく。
まだまだお正月の空気が漂っている。

その喧騒の中、静々と鞠装束の鞠人がお払いを受けた本殿から出てくる。
やがて鞠人が拝殿横の鞠庭へ出でますと喧騒が静寂に打って変わる。
弛んだ空気が張り詰める。
厳かである。
優美である。
雅でもある。

平安時代から行われていたこの蹴鞠、貴族の優美な遊びで別段競わない。
メスの鹿の皮を乾かして裏返して楕円に縫った鞠を相手に蹴りやすいように、ソッと優しくお蹴りあそばす。(っぶ)
なにしろ膝をあまり曲げたらよくないらしい。
顔もあまり曲げたりやたら動かすのはかっこ悪いらしい。
あくまでも優美にがモットーである。
サッササ(地面をすり足で移動)という音と、ポーーンという鞠の弾む音。
その二つしか音がしない。
その二つの音が糺の森に響いて消えてゆく。

ゆっくりとしたポーーンという音をしばらく聞いていると、平安時代からのいにしえ人が時空を越えてまさにそこで鞠を蹴っているように映る。
時代がどれだけ変遷しても、人が無邪気に遊んでいる様子はちっとも変わっていないんじゃないか。
この鞠庭も糺の森もこれから変わることはないのだろうな・・、と考えているうちにポーーンという鞠の音が空に消えていった。
[ 2010/01/05 10:21 ] 未分類 | TB(0) | CM(4)


[ 2010/01/05 10:18 ] 未分類 | TB(0) | CM(2)


[ 2010/01/05 10:18 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)


[ 2010/01/05 10:17 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)


[ 2010/01/05 10:17 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)


[ 2010/01/05 10:16 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)


[ 2010/01/05 10:15 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)


[ 2010/01/05 10:14 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)


[ 2010/01/05 10:14 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)


[ 2010/01/05 10:13 ] 未分類 | TB(0) | CM(0)