FC2ブログ


スポンサーサイト
[ 2019/02/04 14:16 ] 未分類 | TB(0) | CM(4)

春近し

りょうさん
久しぶりの写真撮影、十分堪能されたことと思います。
被写体に困ったときの、植物園頼み…(笑)
白梅に寄り添うように着いている、一粒の水滴が良いですねぇ。

私も先月末、運動不足を実感して、久しぶりに植物園へ行ってみました。
それほど花は咲いていませんでしたが、気持ちが良かったですね。
[ 2019/02/06 09:23 ] [ 編集 ]

春近し

「植物園頼み」

この頃思うのです。
写真って行動範囲で撮れば撮るほど被写体が無くなって来る。
これは友人であちこち長い年月写真を撮り歩いていらっしゃる人がおっしゃったことなんですが。
「写真はもう撮る被写体がないのです」。

私は街撮りは出来ません。
何度か撮ったことはあるのですが、自分が表現したい世界ではありませんでした。
この背景に思っている人物が通りかかるまで待ち続ける・・・。
そこまでの根気がないのです(笑;;)。
それより表現がヘタだったことが全てのような気がします(笑)。
そう言っても風景写真に撮りたい被写体が無くなってると感じ始めているのかも知れません。
これは過去のアマチュァ写真家が自分の撮れる範囲の写真を撮りつくして
「撮るものが無い」
ちゅう現実に至ったものだと思います。

まさに
「被写体に困った時の、植物園」

私はこれから撮れる範囲で撮りたくなる被写体は植物園以外にないのかもって思ったりします。
それでもいいと思っています。
四季の味わいを感じながらその時見せてくれる花を撮って歩く。
そういうのもアマチュア写真の撮る世界なんだと思います。

しまぴょんさん、ありがとうです^^v
[ 2019/02/06 23:04 ] [ 編集 ]

撮るものがない?

りょうさん
写真に対して、どの様に取り組んでいけばいいのか、悩まれているのでしょうか?
何を、どの様に撮ればいいのか…?
アマチュアカメラマンはもっと気楽に楽しめばいいですよ。

京都の写真家水野克比古氏は京都に写真家活動してもう50年、ほぼ毎日といっていい程京都を題材とした作家活動をされています。
その氏でも、まだまだ京都は撮り尽くせていない、といわれています。

プロならば色々制約も要望も多いですので、なかなか自身の作品作りは難しいと思いますが、
私たちアマはその点自由に、まさに写真を楽しむ「写楽」であればいいのでは。
同じ場所、同じ被写体でも、季節により、月日により、時間により、天候により、それと何より対峙する自身の気持ちが異なります。
以前も同じ場所で同じものを撮った、と思っても、当然撮られた写真は違うはずです。

「撮るものが無い」と思った時は、少し撮影から離れてみるのも良いですね。
写真展へ行く、美術館や図書館へ行ってみる、映画を観る、音楽を聴く、本を読む…などなど、違う刺激を受けるのも良いかもしれません。
そしてその中から、また自身がこういった写真を撮ってみたいと思えたらいいのではないでしょうか。

アマチュアという特権(?)を生かして、「写楽」して下さい。
生意気を申して済みませんでした。

それと失礼ながら、もう一つ。
他の人から「きれいな写真ですね」といわれた時は、良い写真ではないと思って下さい。
私たちアマチュアはすぐに誉めことばだと勘違いしてしまいがちですが、その言葉は、何も感じるものがない、といわれているのですね。
それと、花程難しい被写体はないと、私は感じています。
まぁ、難しいから面白いのですが…(汗)
[ 2019/02/09 15:44 ] [ 編集 ]

撮るものがない

なるほど。

撮られたプロの写真家の様々な作品を見てきました。
それらはとれとめもない時間をかけあるいは年月を賭け、んま人生を賭け撮られた作品を見て来ました。
それらの作品は生活を賭けて撮られた写真ばかりであったように思います。

私はそれらのプロ写真家さんたちの時間と人生(これで生活をなしてゆく)を賭したであろうとの一枚の写真を見る時
それ以上の表現は出来ないと思っているのです。
そうなってくると私の写真を撮る限界が自分で見える。
そう想っていたふしがあります。

「写真展へ行く、美術館や図書館へ行ってみる、映画を観る、音楽を聴く、本を読むなど違う刺激を受ける」。

私は本が好きで今も売ったり買ったり200残ってるのが冊くらいの本があります。
作家を列挙すると椎名誠、中島らも、石原しんたろう、片岡よしお、中山かほ、星しんいち、
その他売ってしまって思うだすに、あさだてつや、北方けんぞう、田中こみまさ、花村まんげつ、
町田よう、山口ひとみ、東野けいご、開高けん、
そのほか読んだ作家はもっともっとあったよう思います。

映画はそれほど見ないのですが、音楽は中学生の頃からギターを買ってもらい
フォークソングを毎日弾いては歌っていました。
以前親父バンドでビートルズを初めオールデイズ、グループサウンズの曲など人を集めてやらせてもらっていました。
それは切り詰めて、ベースの音やボーカルの表現に随分悩んだりしていました。
その親父バンドでは褒められたり考えさせられるようなアドバイスをもらったりしていました。

「他の人から「きれいな写真ですね」といわれた時は、良い写真ではないと思って下さい。」


単に綺麗な写真と誉められた写真は受け手に何も感じるものが無い。
すると写真表現ていうのは自己満足なのでしょうね。
私もそう思います。

人物の被写体を見つめる目も自然の四季を追い求める目も都市の景色を見つめる目も
人のもようしを見る目も全て撮り手のエゴなのかも知れません。
目の前に起っている色彩や音や自然の有様ちゅうのを自分なりに表現したいとするなら
自己表現そのものしか人に表現(伝える)出来ません。

小説はもとより絵画も写真も俳句も歌もエゴなのかも知れません。

しまぴょんさん、ありがとうです^^v
[ 2019/02/10 01:05 ] [ 編集 ]

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://ryo9092001.blog35.fc2.com/tb.php/3319-be0b8a9f